犯罪被害者遺族として

犯罪被害者遺族としてー32年後の手記、無期懲役囚の仮釈放について考える

花公園の写真

最近、半分うつ状態で何もやる気が起こらない。ブログにも書きたいことがたくさんあるのだけれども、キーボードに向かっても何も書かずに、wordpressの画面を閉じてしまう。ブログのテーマとはかけ離れているけれども、これを書かなければ一歩も前に進めないから、自分のために書き残しておくことにした。

地方検察庁からの電話

きっかけは1本の電話だった。先月の中旬、某地方検察庁の検事さんから電話があった。32年前、母親を殺害して無期懲役となった犯人の仮釈放の審議があるという。ついては遺族としての心情を伺いたいとのこと。20年もすれば仮釈放になると思い込んでいて、もうとっくに仮釈放になっているものだとばかり思っていた。犯人からは何も連絡はないけれども、仕方がないと感じていた。まだ刑務所の中にいたのかというのが、電話を受けたときの感想だ。そこで無期懲役囚の仮釈放について、早速調べてみることにした。

無期懲役囚は、仮釈放されることは少ない

今、有期刑の最高は30年である。したがって運用上、30年を超えて服役した者だけが仮釈放の申請が認められているようだ。申請数に対して、仮釈放が許可された割合は25%程度である。1度申請が不許可になると、再度申請できるのは10年後となる。無期懲役囚の多くが刑務所の中で一生を終えることになる。
5,6年前、千葉県の柏で起きた通り魔事件の犯人が、無期懲役の判決を受け、「また人が殺せる」と叫んだとのことだが、彼が仮釈放される可能性はほぼゼロだろう。

犯罪抑止のため、誤解を解け

当事者である私も誤解していたのだけれど、「無期懲役になっても、真面目に務めれば15年から20年で出所できる」というのはデマだ。柏通り魔事件のとき、テレビで女性弁護士が「無期懲役になっても、15年くらいで出てこられる」と言ったそうだが、法律の専門家でも誤解している人がいる。一般の方なら尚更だろう。
強盗殺人は、死刑もしくは無期だ。死刑にならなくても一生刑務所の中で暮らさなければならないかもしれない。その確率が高いのだ。母を殺した犯人も20代後半から60歳になろうとする今までずっと刑務所暮らしだ。今回も仮釈放される可能性は低い。このことがもっと周知されれば、犯罪の抑止につながる。テレビなどでもっと放送してほしい。

事件のあらまし

父が億単位の借金を残して他界。その四十九日の夜、母方の親戚から、母が強盗に入られて亡くなったという電話をもらった。父と母は、私が小学校6年生のとき離婚した。母はそれ以来食堂を経営しながら一人暮らしを続けていた。当時まだ高速道路も通っていなくて、車で3時間ほどかかる土地に住んでいた。

犯人は、金銭に困った末の犯行

今と違って、当時両親が離婚した家庭というのは珍しかった。犯人も両親が離婚していて、中学校時代から時々母親の店を訪れていたらしい。犯人は私の弟と同い年。母は、離れて暮らしていてめったに会うことのない私たちと犯人を重ね合わせて見ていたのかもしれない。けっこうかわいがっていたとの話だ。
犯人は、パチンコにはまり、会社の金を使い込んで会社を首になっていた。金に困った末に、女一人暮らしの母親に目をつけ、深夜かぎのかかっていない便所の窓から忍び込み犯行に及んだ。

当初は、犯人に同情も

犯人は家庭環境に恵まれず、満足な教育も受けられなかった。中学を卒業した後、職業訓練所で教習を受け、ある会社に就職したとのこと。私や妹の子と同じくらいの子供もいるとのこと。奥さんやその子たちのことを考えると胸が痛んだ。
パチンコにはまりさえしなかったら、平穏無事な生活を送っていたかもしれない。もっと周りの支えがあれば、こんな凶行に及ぶこともなかったかもしれない。

犯人への怒り

公判が進み、犯行時の様子が詳細になってくるにつれて、犯人への怒りが大きくなってきた。同情の気持ちが薄らいできた。よくもひどいことをという気持ちが強くなってきた。無期懲役の判決が下ったときには、人1人を殺しておいて死刑にもならず、また何年かすれば社会に舞い戻ってくるのかと悔しく思った。当時は、無期懲役囚でも15,6年もすれば仮釈放されると思っていたし、それが一般の通念だった。その通年が正しかったのかどうかは統計が残っていない(公表されていない)から分からないけれども。

モヤモヤした気分

検事さんから電話があって、従姉、妹、弟に連絡を取った。妹からは当時の新聞の切り抜きを送ってもらった。当時の新聞記事を読んでいるうちに何かモヤモヤした気分に支配されるようになった。そのモヤモヤの正体は未だに分からない。幼いころの母親との濃密な時間。娘を見せに、母親を訪ねたときのこと、いろいろな場面が思い浮かんで、何ともいえない気分になった。事件から30年以上の時間が経っているのに。

事件当時

上にも書いたとおり、父が億単位の借金を残して他界したものだから、その後始末で頭がいっぱいだった。まだ35歳のペーペーで世の中のことを何も知らない上に、ほとんどの借金の保証人にもなっていた。幸い、変なところからの借金はなく、すべて地元の地銀からの借金だった。土地と家屋敷を処分すれば、借金は帳消しになるはずだが、売ったときの何千万単位の税金を払うことができない。
弟と話をして、母親にも相談に行くことにしていた。そんなときに起こった事件だった。
2年前に始めた学習塾がやっと軌道に乗ってきて、何とか食べていけそうになっていた時期でもあった。その後、いろいろあったけれども父の借金の件も何とかけりがついた。しかしその後1年間は一日中頭がぼーっとしていた。それでも妻子を養えるようにならなければと懸命に働いた。毎年収入が倍々のペースで伸びていった。

32年後の思い

事件さえなければ、母親との濃密な時間を取り返せるはずだった。私はまだ小学校高学年まで母との濃密な時間を過ごすことができた。妹は小学校に入るか入らないかのとき、弟に至ってはまだ2,3歳の時、母と別れたきりだった。弟は母親の記憶はほとんどないという。

母の元を2回訪れたことがある

娘ができて、母の元を2回訪れたことがある。2回とも日帰りだった。父や継母に悪い気がして、数時間の滞在でいとまを告げた。父の死後、継母とはいろいろあった。「なさぬ仲」というけれども、年齢を重ねた今では継母の気持ちも理解できる。しかしなぜ遠慮をしたのか、悔いしか残っていない。妹は姪っ子を連れて、泊まりがけで何回か母を訪ねたことがあると事件の後聞いた。
もっと母を訪ねていたら、何日か泊まっていればよかった、弟も誘って行けば良かったなどいろいろな思いがよぎる。悔しい。
父が亡くなり、継母との関係も切れ、やっと母親との時間が取り戻せる、そう思っていた矢先の事件だ。

厳罰化では遺族の気持ちは晴れない

遺族の人権を考えよ、もっと厳罰化をという議論がある。先日の広島県で起こった高齢者殺害事件は母のケースに似ている。興味を持ってヤフーのコメントを見た。そこには「こんなやつは死刑だ」「一生刑務所に」という過激な意見が多く見られた。いやちょっと違うなというのが私の感想だった。
私の場合、犯人が死刑になろうと、一生刑務所暮らしになろうと気持ちが晴れることはない。母との失われた濃密な時間が取り戻せたのにとの気持ちが強い。兄弟姉妹そろって母の元を訪れ、わいわい騒ぐ、そんな場面を何度となく想像したことがある。決して訪れることのない風景を。

検事さんへの答え

数日後、再び検事さんから連絡があって、こちらの心情を伝えることに。妹と弟はそれぞれ直接電話を入れて自分たちの思うところを話したという。
妹は、「絶対に許せない。仮釈放には反対」と伝えた。弟はもっと理論的に再犯の恐れが高いので反対との意を伝えたとのこと。
私は、いろいろ言いたいことはあったけれども、簡単に次のように答えた。
いろいろ悔しい思いもありますが、審査会のほうで仮釈放と決まればそれに従います。ただし再犯の恐れなどあるときは、絶対に仮釈放をしないでいただきたい。

ここまで読んで下さってありがとうございます。まとまりがない文章で申し訳ありません。自分の中でもまだまだ整理ができていない状況なので。