「日本一長く服役した男」を見て

プリゾニゼーション

NHKの「日本一長く服役した男」というドキュメンタリーを見た。出番はなかったけれども、私自身犯罪被害者遺族として取材を受けた番組だ。取材を受ける中で自分自身の考えを振り返るよい機会となった。番組はというと、なかなかに考えさせられる内容で、いろいろな考えが次々に浮かんでくるけれども。考えがまとまらない。しかしまとまらないまま、いろいろ思ったことを書いていくことにした。書いているうちに見えてくるものもあるだろうから。

許す、許さない以前の問題だ

従属的態度

無期懲役の判決を受け、61年間服役したあと仮釈放になった男の話だ。
冒頭の刑務所員とのやりとりや受け入れ施設での態度からは、哀れみを感じるのみだった。「飼い慣らされた犬」も同然だ。「プリゾニゼーション」という言葉は知っていたけれども、私の想像をはるかに超えていた。
無期懲役囚のように、長期間受刑している者の多くは、長い拘禁生活に適応するために、身の回りの事象以外は無気力、無関心となり、看守への従属、依存度を高めていくという。テレビ画面に現れた男は、まさにその状態であった。自由の身になったことに戸惑い、どうしてよいか分からない状態だった。あそこまで自分でどうしてよいか分からない状態になるのかと驚いた。何もかも指示されないと自分で判断することもできない。60年以上もただ生かされてきただけの人間の姿を見た。長年服役して看守の指示通りに動くという生活を何十年も続けて、もはや社会の中に放り出されても、どう生活していったらよいか分からない状態である。

私自身の気持ち

私自身、母を殺害した犯人があのような状態で目の前に現れたら、許す許さないというより、「もうどうでもいいよ」という気になるかもしれない。同情しているわけでもない。恨みが消えているわけでもない。ただ人間の形をした生き物を前にして呆然としているといった方がよいかもしれない。
「哀れな奴だ」と言うしかない。

仮釈放は男にとってよかったのか

特別調整

なぜ60年以上もたった今仮釈放されたのだろうか。高齢者や障害者が出所する際、必要な福祉サービスを受けられるよう「特別調整」という制度ができた。この元受刑者は戦争孤児で身寄りがなく身元引受人がいないことで長い間仮釈放されないできた。しかし10年ほど前にこの「特別調整」という制度ができたことによって、福祉施設で身元を引き受けてもらえることで出所できたのだろう。
背景には、厳罰化による高齢者の服役者の増加がある。刑務所の中では対応できなくなるほどの問題となっているのかもしれない。

仮釈放されない方がよかったのかも

高齢者は仮釈放せずに、刑務所の中で死なせてやった方が幸せだろう。犯罪被害者遺族としてこんな心配をする義理もないのだけれど(苦笑)。娑婆に出てきても人間的な扱いは受けられない。普通の人間として生きていくのは無理だ。
理想を言えば、もっと社会復帰の可能な年齢での仮釈放だけれども、再犯が恐いし、遺族としてもあまり早く出所されると感情的に許せない。模範囚といっても、刑務所の中のルールと一般社会のルールは違う。模範囚だからといってすぐに社会に適応できるとは限らない。

本当に難しい問題だと思う。