母親を殺した加害者の仮釈放の審理が始まった。地方更生保護委員会で仮釈放の可否が審理される。審理に際して、加害者の仮釈放に関して、被害者や被害者遺族が地方更生保護委員会に対して意見を述べることができる制度がある。被害者や被害者遺族の意見が考慮される。
実際に審理に当たられる女性の方(妹は所長さんだと聞いたと言っているが、私自身は確認はしていない)と、事務処理関係も担当していただいた男性のおふたりに意見を聞いていただいた。こちらの意見を親身に聞いていただき、また無期懲役囚の実態もお伺いでき有意義だった。
私の意見
まず私から意見を述べた。受刑者が本当に改心して、更生したと思われるのなら仮釈放するべきだという私の立場を述べると、女性の方は少し驚いたような表情を浮かべた。被害者や被害者遺族がそんなことを述べるのはよほど珍しいことなのだろう。
しかし地検から送られて来る通知書を見る限り、受刑態度や反省の度合いが特別優れているわけではない。模範囚というわけではなく、真摯に反省しているようには思えない。無期懲役囚は長い拘留生活で無気力になっていることが多いと書物で読んだ。母を殺した犯人も、ただ刑務官の指示に従って、その日その日を過ごしているだけだと想像できる。そんな状態で仮釈放されると、再犯の恐れがあるから許可は出さないでいただきたいと意見を述べた。
刑務所のルールと社会のルール
もし受刑者が模範囚であったら私も迷ったかもしれないと重ねて言った。模範囚といっても、刑務所と社会のルールは違うので、模範囚といっても社会にうまく復帰できるとは限らないとの返答があった。例えば、年取った受刑者が自分の食事を、まだ若い受刑者に分け与えたとしたら、それだけで懲罰の対象となるそうだ。自分はそんなにたくさんの食事はいらないからと若い人に分け与える、一般社会だとその優しさは賞賛されることだろう。それが懲罰の対象になる、何か割り切れないものを感じた。刑務所のルールは、一般社会のルールとは違う。刑務所のルールを守れない者は、一般社会のルールも守れないだろうというのが、国の論理のようだ。何かちょっと違うような気がするけれども、今の時点ではよく分からない。少し考えてみることにした。
受刑者の様子を知ること
私達も事件から32年後になって初めて知ったのだけれども、受刑者の様子を知らせてくれる制度ができた。反省の度合い、受刑態度を何段階かに分けて成績をつけ、送ってくれる。いわば小中学校の通知表のようなものだ。これだと受刑者の様子のあらましは推察できるけれども、詳しい内容までは分からない。無期囚は手紙を出すのにも許可がいる。ふつう遺族への手紙は許可されないそうだ。受刑者がどんな風に反省しているのか、更生・改心しているのか、私達遺族がそれを判断する材料は本当に乏しい。
地方更生保護委員会の方も、その問題を十分把握なさっていらっしゃるようだ。今後の問題点として国の方で検討してもらいたい。
「今、私が犯人と面会したいと刑務所に申請を出してもおそらく許可は下りないだろう。犯人と直接話をして、本当に改心しているのかを判断してみたい。そんな制度を検討できないだろうか」と言ったところ、妹と弟からは「そんな制度はいらない。会いたくもない」と言われてしまった。確かに犯人と直接会って話をしたいという遺族は皆無に近いだろう。しかし少数ながらそんな遺族もいるのだから、国には一考をお願いしたい。
妹、弟の意見
私の後、妹、弟の順に意見を述べた。更生保護委員会の方とも突っ込んだ意見を交換したけれども、ここでは妹と弟の意見をまとめるにとどめたい。
妹の意見
妹も、母が殺されたときと同じ年齢になった。母の気持ちを考えると犯人を絶対に許せないとの意見だ。
母の気持ちを一番に考えたい。どんなに恐かったか、悔しかったか。それを考えると犯人には一生刑務所から出て欲しくない。
弟の意見
人格障害の疑いがあるので、仮釈放には反対。私達兄弟姉妹3人、それぞれ意見が異なるけれども、みんな相手の意見を尊重して、自分の意見を押しつけたりはしていない。その3人がそろって仮釈放に反対しているという事実を認識していただきたい。
弟は医師だ。医師の立場として再犯の恐れがあると考えるので、仮釈放には反対と意見を述べた。
犯罪被害者遺族が意見を述べるのにも強い気持ちが必要とされる
当日、もう一件意見等聴取制度の利用が予定されていたけれども、遺族の体調不良でキャンセルになったと聞いた。おそらく意見を述べるのにもぎりぎりの状態だったのだろうと思う。事件を思い出し、ああすればよかった、こうすればよかったなど様々な思いがよぎったことだろう。自分の気持ちを整理し、意見をまとめる段階で、フラッシュバックのようにいろいろな場面を思い出す。つらく苦しい気持ちになる。キャンセルされた方の気持ちがよく分かる。
私達も30年以上経って、仮釈放の審理という場面で意見を述べるという機会を得たけれども、ほっといて欲しいという気持ちの遺族がたくさんおられることも知って欲しい。このことに関しては、意見がまとまっていないので、また後日記事にしたい。