別記事に
「私の場合、犯人が死刑になろうと、一生刑務所暮らしになろうと気持ちが晴れることはない。母との失われた濃密な時間が取り戻せたのにとの気持ちが強い。」
と書いた。今日はこのあたりをもっと詳しく書いてみたい。

20年ぶりの再会
従弟に住所を聞いて、母を訪ねていったのは娘が2歳になるかならないかのころだった。
感じた溝
「20年ぶりの親子の再会」というと涙、涙で抱き合うという場面を想像されるかもしれない。安っぽいドラマや漫画だとそういった演出になる。しかし実際は淡々としたものだ。遠慮があり、戸惑いもあった。20年ぶりに見る母親は、予想していたよりも小さかった。幼いころいつも見上げていた母が、小さく縮まったように感じた。もちろん私が大きくなっただけのことなのだけれど。
母は食堂とそれに隣接した場所に、サーファー用の宿泊施設を経営していた。その施設の一室で、話をし、ちゃんぽんを食べた。私が豚肉やもやしをよけて食べるのを見て、「そんなに偏食やったかねえ」と笑う。
父と母が離婚するまでは、母にべったりの生活を送っていた。「母ちゃん、母ちゃん」といつもその後を追っていた。しかし20年という年月が、想像以上に2人の間に溝を広げていた。お互いが別々の世界で生活しているので、当然と言えば当然であるけれども。またいつでも来ることができる。すこしずつ溝を埋めていけばよい、そう考えていた。まだ「母ちゃん」とは呼べないけれども、いつかそう呼べる日が来るだろうと。
継母への遠慮
「いい人が継母になってくれた」と当時は考えていた。こっそり実母に会いに行くのは、よくしてくれる継母に悪いと感じていた。2回、母の元を訪れたけれども、2回とも泊まらずに帰ってきた。食堂の従業員の方も、「泊まっていけばいいのに。せっかく来たのに」と何度も勧めてくれたけれど。
溝を埋める機会が失われる
父の自殺、残された借金の後始末。悶々と過ごす日々の中、母が強盗殺人事件の犠牲者になった。父の四十九日の夜だった。
父の死後、継母が考えていたような人ではなかったことが判明した。人の悪口を書くのは本意ではないので、詳細は書かずにおく。弟は私のことを本当の極悪人だと思っていたと言う。普通の兄弟姉妹の関係ではなかったのだ。
父が他界し、継母と縁が切れたとき、母と私の溝だけでなく、兄弟姉妹間の溝も埋めることができると考えた。生まれて初めて弟と腹を割って話すことができた。母に今後のことを相談しに行ってみると決めた数日後、事件の一報が入った。
後悔、自責、悔しさ
犯罪被害者遺族は、それぞれの事情は違うけれども、後悔、自責、悔しさなどの気持ちを抱えている。私の場合、事件から32年後、一段と激しく後悔、自責、悔しさがよみがえってきた。ここでは、悔しさに焦点をあてて書いてみる。
母との関係においては、20年間の空白のあと、すぐには昔の濃密な時間を取り返すことはできなかった。これから少しずつ取り戻していこうと考えていた矢先のできごとだった。
母のことはほとんど覚えていないという弟。一度でいいから、医者として立派に働いている弟と再会させてあげたかった。兄、妹、弟の3人で孫を連れて、母の元を訪れたかった。それはもう遠くない未来だった。母とともにわいわい騒ぎながら、少しずつ少しずつ昔の関係へと戻っていくはずだった。それが突然断ち切られてしまったのだ。悔しい、本当に悔しい。溝を埋める機会が失われてしまったまま、母を旅立たせてしまった。