犯罪被害者遺族として

新幹線殺傷事件公判ー万歳三唱について考える

日曜日、たまたまテレビのスイッチを入れると、新幹線殺傷事件公判について出演者が感想を述べていた。無期懲役の判決の後、万歳三唱をしたという事件だ。ネットで調べると「ワイドナショー」という番組らしい。松本人志氏、泉谷しげる氏のお二方のコメントに首をひねった。二人とも、毒を吐くことのできる数少ないタレントさんだけに残念に思った。ネットにあふれるあおりレスと何ら変わらない。

暴言に過剰反応しすぎ

被告は興奮状態にあるのではないか

被告は公判中、暴言を連発。最後は万歳三唱だ。このような被告の態度に人々が反発、怒りを覚えるのはわかる。しかし被告の暴言に振り回されて、判決がおかしいと声を上げるのはどうだろうか。もっと冷静に考えていただきたい。
一般に、犯行から1年や2年で心から反省、改心する被告などほとんどいない。今回の被告の場合、暴言を連発することで「全く反省していない」、「法廷を愚弄している」などの批判を浴びているが、反省のないことでは、他の被告と変わりはない。遺族としては、形だけの謝罪、言葉だけの謝罪はいらない。
小島被告の挑発的な言葉、態度に過剰反応しすぎだと感じる。反省がないという点で他の犯人との違いはない。今の制度では、死刑は無理だと判断したから、検察も死刑ではなく無期を求刑した。裁判官が無期の判決を下すのは、当然の成り行きであるし、十分予測できたことだ。被告が公判でどんな態度を取ろうが、無期を死刑に変えることは無理なことは、素人にもわかる。

松本氏の発言

「遺族の意見を最優先に」について

私自身、母の事件で犯人が無期懲役になったとき、「なぜ人一人殺しておいて死刑にならないのか」と憤った。厳罰を望まない遺族はほとんどいない。遺族の意見を最優先にすると、ほとんど死刑だ。死刑を乱発する世の中がよいのか。今現在、無期懲役はほぼ終身刑に近い刑罰になっている。一生を刑務所で過ごさなければならない確率が高いのだ。被告自身がそれを望んでいるという反論もあるだろう。しかし彼は刑務所の実態を知らない。おそらく彼のような人間にとっては、刑務所暮らしは苦痛以外の何物でもないだろう。刑務所に入った途端後悔することは目に見えている。

国民の感情で司法が左右されてもよいのか

国民の感情で、量刑に差が出るということはあってはならない。法律や最高裁の示した基準に沿って裁判が行われることは、法治国家として当たり前のことである。法律や基準に問題があれば、それを改正、見直しするよう政治に働きかけていくべきである。

万歳三唱に、裁判もう一回やり直しって

松本氏は次のように述べている。

万歳三唱の時点で裁判官は”ちょっと待った”っていうのが一発欲しいですね。”もう一回やり直しや”ってレベルの事だと思いますよ。

思わず笑ってしまった。有名人の発言は影響力が大きい。もっとよく考えてから発言してもらいたい。被告の態度で裁判をやり直すって?やり直したって、無期が死刑になることはない。万歳三唱したから、もう一回裁判やり直して死刑にするねと言って欲しいのかもしれないけれども、そっちの方が恐い。一裁判官の裁量で、刑が決まってしまう方が恐い。基準に照らして刑を決めるから社会が成り立っている。裁判官が国民に迎合した判決を下すような国に進歩はない。
もちろん裁判官が間違うこともあるだろうし、納得のいかないときもあるだろう。そんなときは、デモでも何でもできるのだから、行動に移すべきである。

無期懲役は終身刑に近い刑罰だ

もちろん私は刑務所に入った経験はない。どのくらい厳しいかは想像するしかないけれども、おそらく小島被告が考えているほど楽ではないだろう。四六時中監視され自由のない生活。雑居房での人付き合い。私だったら一日で音を上げるだろう。そんな生活が最低30年以上も続く。10数年真面目に勤めあげたら、出所できるというのはデマだ。30年経って初めて仮釈放の審査を受けられるのだけれども、審査に合格できる人数は極めて少ないのが現状だ。多くの無期懲役囚は、刑務所の中で一生を終えるのだ。おそらくこの事件の犯人も、仮釈放される確率はほぼゼロだろう。