テレビ局から取材を受けた際、「どういうとき犯人が更生したと考えますか」と質問され、答えに窮したことは別記事に書いた。そもそもわずかな金額を得るために、殺人を犯すような人間に更生が期待できるのだろうか。犯人がどういう状態になったら許すことができるのか、自分なりに考えてみた。
犯罪被害者遺族としてー32年後の手記、無期懲役囚の仮釈放について考える最近、半分うつ状態で何もやる気が起こらない。ブログにも書きたいことがたくさんあるのだけれども、キーボードに向かっても何も書かずに、wor...
更生への過程
自分の内面を見つめ、犯行へ至った経緯と原因を明らかにする
自分の生い立ち、生育環境、そして犯行を起こすまでを丹念にたどること。どんな人間でも、内面にドロドロしたものを抱えている。それは欲望であるかもしれないし、憎しみ、羨望であるかもしれない。しかし大多数の人々はそのドロドロしたものを抑え込み、善良な市民として暮らしている。一方、なぜ自分は凶悪な事件を引き起こすことになったのか、よく考えることだ。自分の内面を見つめることは、つらく苦しい。それを乗り越え、事件を引き起こした心理、行動を真摯に見つめ直すこと。事件を引き起こさないためには、何が必要だったのか、自分でその答えを見つけ出す、それがまず必要だ。
遺族への謝罪の気持ちが生まれる
自分の過去を振り返り、自分の内面と真摯に向かい合うことで、結果として遺族への謝罪の心が生まれてくるものだ。遺族には、おざなりな謝罪の言葉はいらない。遺族の置かれた状況を考えて、申し訳ないと思う気持ちが芽生えたとしてもそれは一過性のものに過ぎない。自分の心の内部から自然と発せられる謝罪こそが、更生への第一歩だと考える。
謝罪を受け入れ、犯人を赦せるか
そうして自分の内部から発せられる謝罪を何度か受けたとして、私はそれを受け入れ、赦せるだろうか。その時になってみなければ分からないけれども、赦せるかもしれない。大多数の遺族は、それでも赦せないと言うだろうが。
犯人からは、事件後何の連絡もない。おそらく、謝罪を受け入れるかどうか以前の問題だろう。